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JOURNAL 2023.04.28

KARAE JOURNAL Vol.10 作陶家 「健太郎窯」村山健太郎

「特別なことはせずシンプルに。50年後、100年後も使われる器をつくる。」

 唐津湾と虹の松原を見下ろす唐津市浜玉町にある山の中腹に窯を構える、「健太郎窯」村山健太郎さん。「一点もの」だけでなく「窯もの」の作陶にも積極的に取り組み、伝統的な唐津焼の技法や素材を大切にしながら、現代の食卓に馴染む”用の美”における唐津焼を追求した器づくりに取り組みます。窯元の日々の活動をInstagramで配信し、新しい唐津焼のファン層を築き続けています。


大学時代にデザインを学ばれていたという村山さん。唐津焼の道に進んだきっかけは何でしょうか。

 大学で学びながら、平面図形より、立体造形が自分には向いていると思いました。量産できるプロダクトと手仕事のどちらが良いか向き合ったときに、プロダクトの同じ形の連続は美しいけれど、全くのコピーには興味が持てませんでした。一方で手仕事では、人の手で可能な限り形を揃えようと技術を磨きます。それでも手跡や雰囲気、形に若干の違いが出てくる。その違いが手仕事の良いところだと思いました。人の手で行うという制約がありながら、どこまで技術を極めることができるのか、そこに惹かれたことが始まりですね。

手仕事の伝統工芸の種類には様々ありますが、唐津焼に辿り着いたのは故郷が唐津であったことが大きいでしょうか?

 地元唐津でやきものに触れる機会の多い環境ではありましたが、当時はそれを意識してはいませんでいた。大学時代に図録や美術館、実際に工芸の生産地を訪ねる中で、段々と自分が惹かれるものを絞っていった結果、辿り着いたのがやきものでした。当時は、ものを作り出す上で、全ての工程に携わりたいという気持ちが強く、やきものはそれが実現できる魅力がありました。また、やきものは皆さんの日々の生活に使われるものなので、その道に進んだとき伝統工芸の中で需要があり続ける分野である、という現実的な視点もありました。

やきもの産地は全国各地にありますが、唐津焼を選んだのはなぜでしょう?

 大学卒業後、作陶を学ぶために有田窯業学校(※1)に通いました。学校で興味を持ったのが茶道で、抹茶碗に惹かれました。そして抹茶碗を自分が作ると考えたとき、候補に挙がったのが志野焼(※2)と唐津焼だったんです。そのとき初めて、唐津焼や唐津という土地を意識するようになりました。

当時は20代のうちに、唐津と志野の2か所で修行しようと思っていたんです。それで縁があって唐津焼作陶家・川上清美さん(※3)のもとへ弟子入りしました。川上さんは土作り、釉薬作りの素材から作陶に向き合う、まさに私が携わりたいと思っていた全ての工程を自身の手で行っている作陶家でした。川上さんの背中を見ながら修行する中で、私が挑戦してみたいと思うやり方で、唐津焼をつくり唐津で生活していくイメージが確かにできたので、唐津で作陶を続けることを決めました。

(※1)有田窯業学校
佐賀県西松浦郡有田町にあった陶磁器専門の専修学校。2015年4月入学生を最後に、生徒募集を停止している。
(※2) 志野/志野焼
志野焼(しのやき)は、美濃焼の一種で、岐阜県(美濃)土佐市にて安土桃山時代に焼かれた白釉を使った焼物
(※3) 川上清美(かわかみきよみ)
1948年ー/長崎県出身の唐津焼作陶家。窯業訓練校で陶芸を学び、備前、唐津で修行を重ね唐津市内で独立。唐津産の原土を使用した力強い作風が特徴で熱狂的なファンを持つ。

川上清美さんのもとに入門の決め手は何だったのですか?

 唐津焼で弟子募集をしている人がとても少ない中で、たまたま知人伝てに川上さんが弟子を探していると聞いて、窯元を訪れたのがきっかけでした。そのとき、川上さんの作品を見て衝撃を受けました。躍動的だけど余計なものは一切ない、線が美しく力強い…。川上さんの造形力に圧倒されましたね。展示室に入った瞬間から、これは今まで見てきたものとは全く違うと、そう思わせるくらいのパワーがありました。唐津は出身地ですし、陶芸の勉強をする上で唐津焼はもちろん知っていましたが、唐津焼を好きになったのは、川上さんの作品と出会ったことがきっかけです。

いろいろな焼き物の産地がありますが、村山さんが思う唐津焼の魅力は何ですか?

 唐津焼は、原料にこだわって生成するという文化ももちろんですが、大らかで隙が多いのも特徴だと思います。見せ場があるわけでもなく、超絶技巧を見せるわけでもない。土そのものを自然のままに見せているようなスタイルに心地良さを感じます。

自然のままに見せるというのは、唐津焼が古くより茶人たちに愛された理由でもありますね。

格好よく見せようと着飾らない、自然のままというのは、茶の湯の世界にも繋がります。私にとって唐津焼の作陶は、自然を見せるために少しだけ人が手を加える、そんなイメージです。

とは言え、原料の力だけでは物は出来上がりません。人と関わることで完成します。師匠である川上さんは原料の力を引き出すというよりは、自身の持つ造形力で作り出すタイプでした。私とは全く異なる方向性ですが、その力は圧倒的でしたね。なので弟子明けした独立当初は、その圧倒的な力の影響から抜け出し自分を確立していくまで葛藤がありましたし、時間がかかりました。

(※4)唐津焼と茶の湯の世界
唐津焼は茶の湯の世界で「一楽二萩三唐津」と謳われ、茶器としての地位を確立したやきもの。

やはり師匠の影響というのは大きいのでしょうか?

 独立直後は、なにを作っても川上さんの作風に似ていました。弟子を明けたばかりの頃は、一心不乱に作陶を学んだだけの状態なので、師匠の真似をするしかできないんです。できだけ早く自分の作風を確立したいと思って、「今度こそ」と作ってもやっぱり似てしまう。3年間の修業期間中、師匠の強烈な力を浴び続け、弟子はそれらを少しでも吸収しようとするので、師匠の要素から脱皮し自身の作風を編み出すには、やはり時間がかかります。独立後2~3年は暗中模索の日々でしたね。

模索し続けるなかで、どのようにして自身の作風を確立していったのですか?

 手がかりになったのは私自身がもともと好きだったある要素でした。私は、経年変化の様子が好きで、自分の作ったものが経年変化するためには、長く器を使ってもらうことが重要だなと改めて思いました。流行り廃りのある形ではなく、ずっとあっても飽きがこない、機能性もある、そういうものであれば50年後、100年後にも残るかもしれない。そう考えるようになり、自分の作風を確立させていきました。なので今は、特別なことはせずシンプルに作る中で、素材や焼き方でほんの少し自分の色を乗せる、ということを意識して作陶しています。

あまり主張せず、長く使っても飽きがこないというのは、まさに唐津焼の特徴のひとつですね。健太郎窯は、個人の窯元としては珍しく「窯もの」と「一点もの」を作り分けられているのも特徴のように思います。

 「窯もの」はデザインを決めたら、その形を自分だけでなく弟子や職人たちで、それをつくり続けます。「一点もの」はその名の通り、一つの器に全力投球して薪窯で焼くので同じものはつくることはできません。私のやりたかったことの一つに、人の手という制約の中で技術を極めていくことでした。伝統工芸の魅力は「反復」にあります。同じものを作り、作業を反復することで手にそれらを覚えさせ、少しずつ技術を磨いていく。同じものと言っても、土や釉薬、自然の素材が相手ですし、人の手でつくるので、機械のように全く同じものは出来上がらないのですが、この反復の過程を経た修練された手と、そうでない手では、「一点もの」をつくるときにやはり大きな違いがでてきます。逆に、一点物を作る技術が、ものを量産するときに活きる場面も多々あります。どちらも互いに影響し合って、作品に繋がっているんです。だから、今は「一点物」と、良質な「窯もの」の量産、両方とも挑戦しながら作陶をしています。

唐津焼の発展に向けたビジョンはありますか?

 素材を丁寧に作るという文化は、唐津焼として残していきたいと思っています。山へ土を掘りに行き、何か月もの時間をかけて灰のあく抜きをする。土作りも釉薬作りも、手作りですると少量でも膨大な時間と手間がかかります。これを続けるのは、とても難しく大変です。特に独立したばかりの若手時代には、時間と手間がかかった高コストな原料で、駆け出しなので作ったものに高値はつけられない。けれど、そういう状態では作陶で食べていけないし、それでは唐津焼の道を志す後輩も育ちません。私たち世代はそうした厳しい状況を根性で乗り切ってきたけれど、唐津焼の文化を後世に繋げていくためにも、作陶家になりたいと思うような唐津焼や窯元の在り方を模索し続け、挑戦したいと思います。

「窯もの」の量産、いろんなアーティストとのコラボや観光への取り組みなど、健太窯の新しい挑戦はそういう想いがあってこそなんですね。

 はい、唐津焼の看板を使わせてもらう以上、先輩たちがこれまで築き上げてきたものの上でそれらが成り立っていることを知らなくてはいけません。上の世代が残してくれた財産を知ることで伝統への敬意が芽生え、その後の陶芸を続けるためのモチベーションにも繋がります。弟子制度は、技巧を学ぶだけではなく、唐津焼の心の部分を学ぶ上でも必要だと思っています。そうした良い部分を残しながら、唐津焼の文化を残すための新たな試みに挑戦していきたいです。

最後に、村山さんの思う唐津焼の魅力と目指す唐津焼象を教えてください。

 唐津焼は決して華美ではなく、主役になることはありません。例えばお茶の席でも、正客が楽焼、次客が舶来物、三客が唐津(※5)などが多いです。私は、この三客こそ、センスの一番の見せ所だと思っています。あまり主張せず、けれども味わいや奥深さを出す。そういう唐津焼の役割がとても私好みなんです。そうした唐津焼が受け継いできた文化を汲み取りながら、現代の食卓の中に馴染み、毎日使っても飽きのこない、だからこそ長く使ってもらえるようなやきものを作りたいです。

(※5)正客、次客、三客
茶会におけるゲストの座る順番。正客から順に上座に座る。

ちょこっとこぼれ話

 村山さんが窯を構えるのは、唐津湾や松原と唐津の景勝地を一望できる鏡山です。こだわりがつまったギャラリーには、思わず時間を忘れる美しい風景と、健太郎窯の作品が並んでいます。敷地には窯が併設されており、予約をすれば陶芸体験もできます。健太郎窯での体験は、器をつくるだけでなく、自分自身で薪を割り窯を作り、炎から器が生まれる瞬間に立ち会うことができます。より多くの人に唐津焼に親しんでもらいたい願う、健太郎窯らしい取り組みのひとつです。


村山健太郎 -Murayama Kentarou-

1978年佐賀県唐津市生まれ。2003 年に佐賀県立有田窯業大学校を卒業後、 唐津焼作陶家・川上清美氏に師事。2008 年、虹ノ松原や唐津湾にのぞむ鏡山の中腹に「健太郎窯」を設立する。やきものの原料採取から作陶に向き合い、伝統的な唐津焼を基調としながら、現代の食卓に馴染む”用の美”における唐津焼を追求する。

健太郎窯 -Kentarougama-

住所
〒8479-5131  佐賀県唐津市浜玉町横田下 1608-2
TEL
0955-56-2358
WEB
https://www.kentarougama.online
Instagram
@kentarougama
営業時間
健太郎窯 10:00~12:30/13:30~17:00
休業日
毎週木曜日


味わう/KARAE TABLE

KARAE1階「F.L.O.S.S(フロス)」をテーマにしたカフェ&ダイニングのKARAE TABLE。陶板アートが壁一面に施された空間で、唐津・佐賀・九州の新鮮な食材をいただけます。MY唐津焼マグカップを選べるコーヒーセットもあり、カフェの楽しみ方が広がりますよ。メニュー詳細はコチラからどうぞ !

観る・買う/ギャラリー唐重

焼き物のお店「ギャラリーKARAE」

唐津くんちの絵巻図と由起子窯の黒唐津焼タイル300枚が圧巻の、ギャラリー唐重&KARAEインフォメーション。「健太郎窯」村山健太郎さんの作品をはじめ、天平窯赤水窯、 由起子窯、 櫨ノ谷窯鳥巣窯赤水窯岡本修一三藤窯白華窯など、唐津にまつわる作陶家たちのやきものを取り揃えています。


【KARAEにまつわるインスタグラムのご案内】
●唐津の魅力を伝える商業複合施設:KARAE @karae_karatsu
●ブティックホテル:HOTEL KARAE @hotel_karae_
●コンセプトショップ:KARAE SHOP @karae_shop
●カフェ&レストラン:KARAE TABLE @karae_table
●やきものギャラリー:GARALLY 唐重 @gallery_karae
●映画館:THEATER ENYA @theater_enya
●飲食店:たまとり @tamatori_karatsu
●飲食店:シャンリー唐津 @karae1xiangli
●シェアオフィス&レンタルスペース:MEME KARATSU @memekaratsu

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