伝統的な唐津焼を基調としながらも、ドレッシーな雰囲気さえ漂う独自の唐津焼の作風を確立されている岡本修一(おかもとしゅういち)さん。作礼窯を開いた父・岡本作礼さんのもとで修行し、2018年に独立。 伝統とモダンさが融合した魅力的な世界観から作られる、優美で繊細な器で注目の岡本修一さんに、これまでの作陶家生活やこれからについて、お話を伺いました。
父である作陶家・岡本作礼さんと親子2代に渡り作陶家である岡本修一さん。作陶家になるまでの道のりは?
陶芸家の父のもとに生まれたので、将来の選択肢として陶芸家になることも考えていました。けれど、陶芸に向き合う父の姿を間近かで見ていたからこそ、覚悟が必要な職であると子どもの頃から感じていましたし、簡単に「陶芸家になろう」とは思えませんでした。そこで、本当に陶芸が好きなのかを確かめるため、全国でも有数の陶芸を学べる工業高校のセラミック科へ進みました。陶芸を学ぶことはもちろんですが、父のように陶芸と向き合い続ける覚悟が持てるのか、自分自身を試したいという気持ちもありました。けれど、いざ陶芸について学んでみると、あまり興味は湧かなくて…(笑)。高校3年間、自分なりに陶芸と向き合い、やはり陶芸の道は自分に合わないと思い、卒業後は唐津を出てデザインの道へ進みました。
一度は陶芸と向き合い、別の道を選ばれたんですね。
高校卒業と同時に唐津を出て、デザイン専門学校を卒業し大阪のデザイン会社へ就職しました。ファッションから子供が遊ぶブロックなどのおもちゃまで、幅広くデザインをして、社内には外国人スタッフもいるオープンな会社でした。実は就活で1度落とされたんですけど、それでもここで働きたい!という熱意を手紙に書いて送り、会社が根負けして採用してくれたんです。入社後はイギリス人の上司のもと、念願のデザインの仕事に打ち込むことができました。
ところが、いざやってみると、自分がデザインしたものが商品として形になったとき、自分が嬉しさや感動をあまり感じていないことに気が付きました。なぜだろうと考えたときに、デザイナーはデザインはできるけど、デザインしたプロダクト自体の製作には携われないことが原因であるように感じ始めました。それで、私がデザインしたものが、デザイン会社の歴代売上1位を取ったことを区切りとして、3年でその会社を辞めました。
デザインからモノづくりへの関心が高まってからは?
退職後、花屋さんとか劇団の小道具づくりとか、とにかくいろんなモノづくりに携わる仕事をしてみたのですが、結局自分自身が何をしたいのか分からず、悶々として一度唐津へ戻ることにしました。当初は、貯金も尽きてきたし、唐津の実家でお金を貯めて、また大阪に戻ろうと考えていました。それから父の作陶を手伝いながら実家で過ごしているうちに、いつのまにか自分自身も作陶をするようになりました。父のおかげで作陶するための環境は揃っていましたし、唐津焼の作陶が自然と自分の中に入ってきて…。本当に自然の流れとしか言いようがないですね。そのまま、今に至るまで器づくりを続けています。
自分自身がどうありたいか姿を見つめ続けた結果、唐津焼に戻ってきたいんですね。陶芸で生きていこうと決断するきっかけはありましたか?
唐津へ戻ってきてから、ある陶芸家の育成プロジェクトに参加したんです。そのプロジェクトの一環で、自分が作陶した作品を東京の大きな百貨店で販売しました。そのとき、初めて自分の作品がお客様に手に渡る瞬間に立ち会えたんです。作陶が分業化されていない唐津では、器の素材である土づくりから販売まで、一気通貫して作陶家が全て受け持ちます。正直、土を作っているときは、全く上手くいかなくて面白くもないし、一体誰のために何のために作陶をやっているんだろう…と苛立つこともあったんですが、お客様に届けることができたときに初めて、「あ!このためか!」と腑に落ちたんです。私の器を手に取り、喜んでくれるお客様のためにやるんだと、急に思い悩んでいた先の道が見えました。この瞬間が、私が作陶家として生きていこう決断したときだったと思います。
向いていない、と一度は辞めた陶芸の道を進むことに、葛藤はありましたか?
陶芸って少し特殊で、生活に取り入れる食器や花器としての実用性がありながらも、自己表現や芸術の性質も持っています。絵が好きで画家になるように、陶芸を好きでないと作陶家にはなれないのでは?と自問自答したともありましたが、この道に進むと覚悟を決めたからには、 陶芸の多彩なプロセスの中で、どう歩んでいくのか自分なりに見い出していこうと思っています。
禅の世界や渋好みな熟した大人が好む唐津焼という固定観念を覆すような、繊細で優美ささえ感じるドレッシーな唐津焼の作風、すごく難しい作風だと思いますが、それを見事に確立させていますね。ちゃんと唐津焼なんだけれどポップやモダンさがありつつ、品性やアートの要素も備わっています。
デザインの仕事をしていたおかげで、いろんなデザインを学んできたので、それをどう唐津焼に応用するかを考えて作陶しています。例えば、このフォルムのお皿にはこの絵柄の方が合うんじゃないか?と、作陶方法は伝統的な技法のまま、絵柄だけ違うエッセンスを入れてみる。デザインの仕事をしていた頃と同じで、レイアウトとして考えるんです。デザインをするものがファッションから器に変わっただけ。そうやって絵柄を少し変えるだけで、唐津焼にはあまり馴染みのない人でも器を手に取ってくれるのではないかと思うんです。
もちろん、唐津で作陶をする以上、唐津と言う風土や伝統を尊重したいと思っています。だから、私の器は全て唐津の土を使い、唐津の土地で焼いています。けれどデザインは時代と共に変化するものだと思うので、これからも器を手に取ってくれる人たちと一緒に変わっていけたらなと思っています。
作陶で心がけていることはありますか?
作陶を始めた頃、茶道の先生にどんな器を作れば良いのかと助言を求めたところ、「あなたの想いがこもったものを作りなさい」と言われたんです。それで、「自分はこうだ!」という自己表現や想いをたくさんこめて作りました。当時は完成した器を見て、様になっていると思っていたのですが、今振り返るといやらしい器だったなと思います(笑)。自己満足だけで、いろんなエッセンスを器に入れてしまったんですね。
けれど作陶を続けていたあるとき、「心のこもったもの」というのは、自分自身のコンセプトを盛り込んだものではなくて、お客様が器を使う中で「これ良いね」って感じるものなんじゃないかと気が付いたんです。使う人を想って作る器が「心のこもったもの」だと、茶道の心を理解したとき、私自身もそういう器を作っていきたいなと思うようになりました。
作礼窯を開いた父・岡本作礼さんから受ける影響はありますか?
私の場合は父のもとで修行をしたため、父の影響は良くも悪くも大きいですね。父は「こうしなさい」と固定観念を押し付ける指導をするタイプではないけれど、やはり父の作陶の中には父自身のバックボーンがあり圧倒的です。私はそれを目の当たりにしながら自分自身が納得をすれば父のやり方を取り入れ、違和感があればやらない。そうやって修行するうちに、父に対して「それは違う」と意見があるということは、岡本作礼の作品ではなく自分自身の作品を作りたいという気持ちがあるからだということに気が付きました。私は、父を尊敬しながらもその真似ではなく、私自身のバックボーンから生まれる器を作りたいと思っている。その気づきが、独立へと繋がりました。
紆余曲折ありながら、唐津へ帰郷して作陶家の道を選んで10年。振り返っていかがでしょうか?
昔から「これをやりたい!」と明確に思ったことがないタイプでした。もしかしたら、父が作陶家ではなく教師であれば教師に、農家であれば農家になっていたかもしれない。けれども、唐津という焼き物の伝統的文化が根付いた場所に作陶家の息子に生まれ、大阪でデザインを学びながらいろんなものに触れ、唐津に帰郷して作陶をしている。振り返ると、その時々に選んできた道が、実はいろんな縁で一筋に繋がっていたように感じられます。私の性格上、本当に心から陶芸が嫌だったら辞めていると思うんです。けれど、辞めずに続けているということは、きっとなにか理由があるんじゃないかと。その理由を探すために、陶芸を続けています。
これからの展望を教えてください。
独立して3年が経ち、修行をしていた頃に比べて、自分自身や器について考え、向き合う時間が長くなりました。考える時間の中で、岡本修一の器とはなにか、ずっと自分自身に問い続けています。私の人生のテーマとして「抗う」ということがあって、自分にも、世間にも、焼き物はこうあるべきという概念にも抗って、自分自身の作りたいものを作る。そうやって抗って抗って、抗い続けた作品が、岡本修一の作品になるのかなと。逃げずに、負けずに、真摯に向き合って初めて良い作品ができるのだと思うし、抗い続けてようやく生まれた作品を、お客様が笑顔で手に取ってくれたら全てが報われる。自分でも不器用な生き方だと思うけれど、そういう作陶を続けていきたいと思っています。
ちょこっとこぼれ話
岡本修一さんの展示室には、奥様が書かれた大きな油絵とアンティーク家具があって、取材に伺った日に流れていたBGMはノラ・ジョーンズ。唐津焼の展示室でノラ・ジョーンズ…、これまでの唐津焼では、およそ想像できなかった世界観に静かに感動しました。また別の日は晴れた日はお庭で岡本修一さんの湯呑でお茶を頂く。そこでもやはり、唐津焼の禅や和の世界観と西洋のガーデニングの雰囲気が絶妙に同居しています。この均衡のとれた新しい唐津焼の世界観をいろんな人に届けたい、そんな衝動に駆られる景色がそこにはありました。
岡本修一 -Okamoto Syuichi-
1986年佐賀県唐津市生まれ。「作礼窯」岡本作礼の息子として生まれる。大阪の美術専門学校を卒業後、デザイン会社に勤務し、2011年より「作礼窯」にて作陶を開始。2018年独立し、新しく工房を構える。
伝統的な唐津焼を基調にしながらも、どこかドレッシーさが香る繊細な器で人気を集める、今注目の若手作陶家。
Instagram
@shuichi_86
味わう/KARAE TABLE
KARAE1階「F.L.O.S.S(フロス)」をテーマにしたカフェ&ダイニングのKARAE TABLE。陶板アートが壁一面に施された空間で、唐津・佐賀・九州の新鮮な食材をいただけます。MY唐津焼マグカップを選べるコーヒーセットもあり、カフェの楽しみ方が広がりますよ。メニュー詳細はコチラからどうぞ !
観る・買う/ギャラリー唐重
唐津くんちの絵巻図と由起子窯の黒唐津焼タイル300枚が圧巻の、ギャラリー唐重&KARAEインフォメーション。ギャラリー唐重は2021年8月オープンし岡本修一さんの作品をはじめ、 天平窯、赤水窯、 由起子窯、 櫨ノ谷窯、鳥巣窯、白華窯などのやきものを取り揃えています。
【KARAE公式LINE@への登録案内】
KARAEの公式LINE@に登録すると、もれなくKARAE TABLE1のフリードリンク券をプレゼント。KARAEのお得な情報に加え、唐津の耳寄り情報、陶芸家の方のインタビューマガジンなどがLINEで届きます。