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EVENT 2024.12.14

GALLERY唐重「土と木と布」|若手作家3人のインタビュー大特集


KARAE1階のやきものギャラリー「GALLERY唐重」では、次世代を担う3人の若手作家が集う特別展「土と木と布」を12月20日(金)~30日(月)に開催。そこで今回は開催を記念して、企画展に参加される作家のインタビュー大特集をお届けします!

3人のそれぞれの現在に至るまでの経緯や自身の持つ哲学など、一挙ご紹介。制作の背景をより深く知ることができれば、きっともっと企画展を楽しめること間違いなし。作家たちの作品と想いにぜひ触れてみてください。


「日の出ロクロ」藤本博久

木工を中心に作家活動を行う日の出ロクロ」藤本博久さん。 活動名である“日の出”は、もともと祖母が名付けた父の家業の屋号だったそう。家族の歴史や願い、そして自身の哲学を重ね合わせ、この春に「日の出ロクロ」として始動した藤本さんに、これまでの道のりと作家としての信念について伺います。

ものづくりの原点は民藝との出会い

徳島で木工作家として独立した藤本さん。ものづくりへの興味は高校時代にさかのぼります。当時から絵を描くことや工芸品への強い興味があったのだそう。そんな中 出会ったのは、日本民藝の祖である柳宗悦(※1)でした。

(※1)柳宗悦/1889-1961年
日本民藝運動の主唱者。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動を始めた。

「柳宗悦の著書を読んだとき、 野の花や葉が自然のままに存在する姿を例に挙げながら 『意図しない美しさ』について書かれていて、とても共感しました。孤独に感じていた自分に、同じ感性を持つ仲間が現れたような感覚でしたね 」

藤本さんは柳宗悦の思想に影響を受け、自然が生み出す美しさや人と物との共存について深く考えるようになりました。大学では美術系に進学し、プロダクトデザインを専攻。「民芸の中に自分が求めるものがある」と感じ、民藝運動の中心でもあった濱田庄司や河井寛次郎などの作品や思想にも影響を受けたそうです。

大学の卒業制作では、「懐かしさ」をテーマに照明の制作に打ち込みました。「なんだか懐かしい」という人の感情や感覚を物である作品にどう昇華させるのか、試行錯誤の連続で全てのエネルギーと時間を費やした日々だったと当時を振り返ります。卒業後には陶芸や現代アートのアシスタントなど様々な経験を積みながら、自分自身の表現方法を模索し、作品を発表しました。

制作で目指すのは、デザインとアートの中間地点

2024年春には、祖父母の故郷である徳島県で「日の出ロクロ」として独立。現在は木工を中心とした作品の制作を行っています。藤本さんの制作活動は、機能性や美しさだけを追求するのではなく、見る人や使う人に問いかけを残すものでありたいと語ります。その根底には、デザインとアートの違いを意識しながら、両者の間を追及する藤本さんの姿勢がありました。

「デザインは問題を解決するもの、アートは問いを投げかけるもの。私は、その間にある表現を目指しています」

実は、独立と同年に子どもを授かったことも制作活動に影響しているのだそう。子育ての中で「赤ちゃんの可愛さは生存戦略そのもの」と気づいたのだとか。

「赤ちゃんが可愛いのは、人間が本能的に守りたくなるようデザインされているから。それで、器にも人を惹きつける力を持つよう設計ができるのではないかと思い、デザインによる求心性を探求しています」

最近では、お椀の直径と高台の比率を、赤ちゃんの顔のバランスからヒントを得て制作。また、愛着形成に注目した作品づくりにも取り組んでいるそう。「本質的に人が心惹かれるものは何なのか」という人間心理を探求しています。

今回の企画展にご用意頂いた、唐津の景勝地「虹ノ松原」から着想を得た松の皿

自然への敬意と未来を見据えたものづくり

藤本さんの制作テーマの一つは、自然、環境、人間活動のバランスです。「エネルギーをどのように使うのか、実験しながら制作を進めます」と語る藤本さん。自然災害で倒れた木や、長い年月を経た古民家の廃材など、本来は廃棄される運命にあった素材を再生させ、新たな命を吹き込むことで作品を生み出しています。

「制作の上ではまず、自然と人間のバランスを考えます。エネルギーの使い方を意識しながら制作することで、環境問題について問いかけることができればと 」

目指しているのは、日常生活の一部である食事の場面で使われる、機能的な食器デザインと、環境問題や人間社会について考えるきっかけを与えるアートが共存する作品づくりです。

これからの展望は「問い続けるものづくり」

藤本さんは、自身の制作活動を通じて「問い続けること」を主軸にされています。それは、社会問題や環境問題だけでなく、人間の心の機微にも及ぶ、壮大な問いかけです。

「山が荒れていることや地方の衰退、家族や子供たちの未来のこと、人が普遍的に惹かれるものは何なのか?様々なことを考える中で、制作は自分の哲学や思いを形にする手段だと思います。手法やテーマは変わるかもしれませんが、問いかけを続ける姿勢は変わりません」

今後は木工だけにとどまらず、陶芸や他の素材による制作や、人間心理に関する勉強にも挑戦してみたいと展望を語る藤本さん。一貫するのは「社会的な意義や心理学的なテーマを組み合わせた作品づくり」です。学生時代から人間の本質的な感覚を追及し続けた藤本さん。これからの挑戦と進化にぜひご注目頂きたい若手作家です。

「摘草」阿部美鈴

「摘草」阿部美鈴さんは、草花をモチーフにした染物作品を中心に創作を続ける作家です。活動の屋号である“摘草”には、野の草を摘むという日常の営みから、自然とのつながりを意識した思いが込められています。その作風は、柔らかな布に描かれる揺れるような草花の姿が特徴的で、多くの人々を魅了しています。

創り出す楽しさを知った学生時代

阿部さんは福岡県久山町で育ち、福岡の美術科の高校に進学しました。高校時代、デッサン、陶芸、写真、彫刻など多くの技術を学ぶ中、特に心惹かれたのが油絵です。3年次には油絵を専攻し、絵を描くことに情熱を注ぎました。

「高校では美術部で活動していました。何かを創り出す楽しさを部活で知ったのが、今の作家活動の原点だと思います」

高校卒業後、阿部さんは服飾専門学校に進学し、デザインの世界へ進みます。ニットや靴下等の服飾アイテムを中心に、デザイナーとしてアパレル企業に勤務されたそう。業務は服飾のデザイン設計だけでなく、素材の生産者の訪問や製造者とのやり取りなど幅広く、勉強の機会になったと当時を振り返ります。その中でも最も楽しく感じるのは、やはりデザインとして絵を描く作業だったそう。

これまで描いてきた絵を、現在はポストカードにして販売している

染物作家としての独立と模索

作家活動をスタートさせたのは、同じアパレル企業で働いていた先輩に一緒に制作を行わないかと声をかけられたことがきっかけでした。協働で3年間ほど活動後、独立。久山の自宅兼アトリエを拠点に、個人作家としての活動をはじめます。

当初は布に絵を描くと言っても、どのような道具を使って良いのか分からず、手芸屋や染料専門店などを渡り歩いたそう。自身のイメージする理想や作業効率、さまざまな要素を考えながら試行を重ねて、現在のスタイルに辿り着いたのは独立から4年後のことでした。

「作家活動を持続するために、どうしたら最短で私が理想とするイメージに辿り着けるのか、自分に合った表現方法を探しながら、少しずつ技術を磨いていきました」

独立後には、ギャラリーでの展示やコラボレーション企画に参加するなど、精力的に活動された阿部さん。作家活動を通して様々なご縁が繋がる中、最も影響を受け、今も師匠と仰ぐ人がいるのだとか。

心惹かれた山野草を描く。師と仰ぐ花屋さんとの出会い

阿部さんの作品のモチーフの多くは山野草と呼ばれる野の草花です。制作では、まず山や自身のアトリエの庭にある身近な山野草を写真に収め、それを元にデザインを生み出すのだそう。阿部さんが、もともと好きだった山野草を、より深く知って「摘草」の名前で活動するきっかけになったのは花屋「のの艸」さんとの出会いでした。

「のの艸さんとの出会いは、私の創作活動に大きな影響を与えました。山野草の魅力に改めて気づかせてもらい、今では勝手に師匠だと思っています」

いわゆる雑草と言われる野の草花を取り扱い、野草茶や栽培、さまざまな側面からその魅力を伝える のの艸さん。はじまりは、阿部さんが のの艸さんの店舗へ、絵を描くモチーフとして花を買いに行ったことでした。それから、のの艸さんの一角に間借りして絵を展示するようになり、さらには店舗リーフレットの絵を依頼されるなど、今も深い交流のある花屋です。

アトリエから見える庭の風景

大胆な構図と大きな作品への挑戦

阿部さんの作品には、細やかで愛らしい描写のアイテムが多かったのだそう。しかし最近では、大胆な構図や大きなサイズの作品に挑戦しています。そのきっかけとなったのが、蓮農家や陶芸作家との共同で開催された「蓮の会」でした。

「この会で初めて大きな暖簾を制作したとき、大きな布をキャンパスに大胆に草花を描く楽しさを実感しました。なにより仕上がりがこれまでと違って新鮮で、次のステップのイメージが湧きました」

布というキャンバスの魅力

草花が揺れる自然の姿と、布が風に揺れる様子に共通点を見出した阿部さん。布の厚みや素材によって作品の完成が変化することも、布という素材の魅力の一つだそう。

「布に描くことで、私がコントロールできない変化や予想外の仕上がりになる様子が面白いんです。それに使う人の発想次第で、私の想像できないところまで連れて行ってくれるような気がします」

布を服としてまとう人もいれば、空間に飾ったり、もしくは生活の道具として使う人もいる。使い手がいることで作品が完成すると捉える阿部さんにとって、用途が幅広く自由な布は、意外性をもたらす理想的なキャンバスだと言います。

絵を描き続ける理由とは?

物心ついたときから絵を描いて生きてきたという阿部さん。最後に、描き続ける原動力を伺いました。

「描いていなければ私ではない。そう思えるくらい、私自身のアイデンティティの軸は”絵を描くこと”なんです」

自然との共生を大切にしながら、布に草花を描き続ける阿部美鈴さん。その作品からは、彼女の自然への敬意とものづくりへの深い情熱が伝わってきます。心のままに描き続ける彼女の姿勢こそが、作品の魅力をより引き出しているのかもしません。

唐津作陶家・飯田隼人

やきものの伝統が根付く唐津を拠点に、個性豊かなやきもの作品を生み出す作陶家・飯田隼人さん。GALLERY唐重で常設でお取扱いしている若手作家です。幼少期から絵を描くことに親しみ、数々の挑戦と試行錯誤を経て、現在は独立した作陶家として活動を続けています。その歩みと情熱を紐解きます。

ピカソの絵が導いた創作への第一歩

飯田さんが創作に興味を持ち始めたのは中学生の頃。美術の先生がクロッキーを渡してくれたことがきっかけでした。美術室にあったピカソのデッサン集が師匠でありライバルだったそうで、とにかくピカソの絵を目標に修練を重ねたと言います。飯田さんにとって、絵を描くことは自身の感情を表現する手段であり、作家人生として自己表現の原点となりました。

「ピカソの絵を見て、世界に15歳でこんな絵を描いた人がいるなら自分にだって描けるんじゃないか。本気でそう思っていました(笑)」

高校では美術科に進学し、油絵を専攻。18歳で上京して就職の道を選びます。カメラマンの助手として働く日々は多忙を極めましたが、「アルバムデザインなどクリエイティブな要素もあったため、やりがいを感じました」と語ります。転機が訪れたのは、東日本大震災でした。震災をきっかけに自分の人生を見つめ直し、ふるさとである九州に戻ることになりました。

唐津の窯元で知ったやきもの作家の可能性

帰郷後、作陶を学ぶ佐賀県立有田窯業大学校があることを知った飯田さん。高校時代に美術部で陶芸に触れたことを思い出し、陶芸であれば絵付け等の絵を描く仕事があるのではないかと進学を決意します。

しかし、磁器を扱う授業がメインとなる窯業学校で学びながらも、どこかピンと来ず、「陶芸を一生の仕事にするとは考えられなかった」と当時の葛藤を明かします。人生の転換期となったのは、唐津の窯元「土平窯」での夏休みのアルバイトでした。

「機械的に作るのではなく、やきものを通した自己表現ができるのだと知り、大きな衝撃を受けました。この経験をきっかけに、やきもの作家を志すようになります」

唐津の窯元は組織化されておらず、一人の作家が土作りから窯での焼成までを一気通貫して行うことが主流です。土平窯で目にしたこのスタイルこそが、自分の求めいているものだと感じたのだそう。

「天平窯」での厳しい修行が作家としての財産

そうして窯業学校卒業後、飯田さんは作家としての独立を目指して唐津焼窯元「あや窯」に弟子入り。しかし師匠の高齢により窯が閉じられることに。その後ご縁あって、窯業学校時代から憧れがあったという唐津の窯元「天平窯」岡晋吾さんのもとで修行することとなりました。

天平窯での修行中、 膨大な数の器を作り続けながら、師匠から与えられたテーマに対して自分なりのアプローチを模索する日々は苦難の連続だったと言います。

「ただただ目の前の作陶にだけ集中する。想像をはるかに超える、大変な修業期間でした。けれど、これだけは絶対にやり切ろうと覚悟を決めて向き合いました」

修行の中で、手の技術が研ぎ澄まされると同時に、器の機能性や美しさを多面的に考える中で自身のアイデアを蓄え続けました。覚悟を決めて臨んだ修行で培った経験は、独立した今の活動において何ものにも代え難い財産となっていると、飯田さんは振り返ります。

独立のきっかけとなったのは、お客様の顔

独立のきっかけは、GALLERY唐重で開催された「天平窯展」への出展でした。いち作家としてお客様に喜ばれ評価されたことで、「飯田隼人という作家に責任を持って、お客様のための作品を作りたい」との思いが強まったと言います。

「私がこれまで吸収してきたものを自然に表現することで、私ならではの世界観が築けるのではないかと思います。師匠の岡晋吾先生から学んだ『さらけ出せ』という言葉にもつながっています 」

焼き名に囚われることなく、常に自由であり、進化を続ける師匠・岡晋吾さんのスタイルは、まさに飯田さんが目指す作家の在り方なのだそう。

唐津焼の伝統を取り入れつつも、型にはまらず自由な発想を追求する飯田さんの作風は、次第に独自のスタイルを確立し、多くのファンを魅了するようになりました。

唐津の伝統と自由が息づく新たな挑戦

「個人作家として活動する限り、一生に作れる作品の数は限られています。だからこそ、一人ひとりのお客様に焦点を当て、いま必要としている器を届けたい」

飯田隼人さんが生み出す器の数々は、伝統と自由が見事に融合した新たな風を吹き込んでいます。この春独立し、やきもの作家としてのスタート地点に立った飯田さん。すでに全国から注目を浴びる若き作家の生み出す器は、多くの人々に喜びを届けてくれることでしょう。

■関連記事:飯田隼人さんのロングインタビュー記事はこちら

作家たちの想いに触れるインタビュー特集、いかがでしたか?

特別展「土と木と布」では、3人の若き作家たちが丁寧な手仕事から生み出す、食卓を中心とした生活に寄り添う作品たちが揃います。暖かく、どこか愛嬌あるそのほとんどが一点ものです。この冬、ぜひ「GALLERY唐重」で作品との出会いをお楽しみください。


【イベント情報】特別展「土と木と布」

■会期:2024年12月20日(金)~12月30日(月)
■時間:10:00~18:00
■在廊:12月22日(日)は作家3名皆さんがご在廊されます
■場所:KARAE1階 GALLERY唐重
※シアターエンヤでの展示会詳細は後日当サイトにてお知らせいたします。

【参加作家のご紹介】

■飯田隼人

1991年 福岡県北九州市生まれ。有田窯業学校を卒業後、2016年より唐津焼窯元「あや窯」、2018年より唐津市浜玉の「天平窯」で修行を重ねる。弟子明け後は「天平窯」所属作陶家として経験を積み、2024年春に独立。唐津に自身の窯を構える。伝統的な唐津焼の要素を取り入れながら、既存の枠にとらわれない自由な発想でオリジナルの作風を切り開く、今注目の若手作家。〇Instagramはコチラ

■摘草 阿部美鈴

1990年 福岡県久山町生まれ。美術科の高校を卒業後、服飾専門学校へ進学。アパレルブランドのデザイナーとして勤務する中、会社の同僚からの誘いを受け、退職後に共同でファッションブランドを立ち上げる。その後、個人作家活動を開始。現在は布に絵を描くことを基軸に、多様なプロダクトを製作中。瑞々しい野の草花を布に描くことで、光や風、様々な自然の情景を表し、ファンの心をつかむ。
〇Instagramはこちら

■日の出ロクロ 藤本博久

1990年 大阪生まれ。大阪成蹊大学 芸術学部在学中に民芸・アートに惹かれ、卒業後は物作りの現場で経験を積みながら作品を発表。祖父母の出身地・徳島に移住し、木工ろくろの師匠のもとで木と加工技術について学ぶ。2024年 父の家業の屋号から着想を得た「日の出ロクロ」の名で、木工作品の製作活動を本格的に開始。古材・廃材の木目の個性を活かしながら、器や生活の道具として再生させる。〇Instagramはコチラ


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